《〈釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字〉導讀》日本語訳(三、(二))

(二)関連字形の異体分合問題に対して辞例を加味して正確な判断を下す

古文字中には同一字の異体がとても多いため、言語における同じ単語・語素を表す文字には、多くの異なる字形あるいは「写法」がある。この「異なる字形」は、大きく「構造は同じだが写法が異なる」と「用いられる偏旁」が異なるという二種類の状況に分けることができる。前者を一般に「異写字」といい、後者を一般に「異構字」といい、両者を合わせたものが一般にいう「異体字」の概念である。

関連字形に加えてその辞例・用法を根拠に、あらゆる待考字の異体字形を全て収集し、かつ無関係の字形を取り除くことは、当然古文字考釈の基礎である。これが「認清字形」を基礎として成り立つ、正確に「異体分合と帰入」を導き出すという問題である。ある待考字形は、他の既知の字形との異体関係が確定した後に、その釈読問題を直接解決することができる。

この作業では、字形の異同を細かく識別する必要があり、異なる字(偏旁を含む)を混同してはならないし、また本当は一字異体であるものを分けてもならない。古文字における一字異体の状況はかなり複雑で、ときには、写法がとても接近した字形であっても、必ずしも同一字とは限らないし、写法が大きく異なる字形であるからといって、必ずしも異なる字であるとも限らない。それらの間の字形変化の関係については、研究者が既に多くの「通例」をまとめており、《遠邇》文にも多くが体現されている。

 

1.字形異同の分析には、微細な区別に注意せよ

《遠邇》文は「⿰⿱个土犬(⿰⿱个土犬)」の類の字形を「⿰立犬」と隷釈する旧説に対して、「実際はこの字の左下部は明らかに「土」字であり、甲骨文の「立」字の下部がこのような形で書かれたことはない」と反論している。これは字形に対する綿密な分析が体現されており、たとえさらに微細な区別であっても見逃すことはない。上述の「⿰立犬」と釈する説は、字形の微細な区別を軽視してその形と「𤞷」字の異体関係を覆い隠してしまっている。以下ここでいう異体分合問題と関係の大きくない二つの例を挙げる。

例えば、甲骨文中のf:id:nkay:20181224035806p:plainf:id:nkay:20181224035809p:plain等と書く形は、「⿱𫝀虫」字に隷定すべきだが、以前は一般に「⿱止它」と隷定し、「它」と読んでいた。裘先生は「舝」と釈しなおし、「傷害の「害」の本字」と解釈したが、これも早くから大家に称賛されている古文字考釈の名作であるため、ここで詳述するには及ばない。後代の「舝」字の字形変遷の連結分析を除けば、重要な起点はその形の下部が従うのは「虫」であって「它」ではないことをまず明らかにしたことである。曰く、

金文において「虫」字はf:id:nkay:20181224035813p:plainf:id:nkay:20181224035815p:plain等の形に作り(原注略、以下同)、「它」字はf:id:nkay:20181224035818p:plainf:id:nkay:20181224035820p:plainf:id:nkay:20181224035823p:plain等の形に作り、二字は決して混ざりあうことはない。甲骨文中にf:id:nkay:20181224035826p:plainf:id:nkay:20181224035830p:plain等の形に作る字があり、かつてしばしば「蠶」と釈されてきたが、張政烺先生が「它」と釈しなおしたのが非常に正確である。甲骨文と金文の「它」字は共通して、胴体を象った部分が比較的太いという特徴を持っている。金文の「它」字の中央の縦画は甲骨文の「它」字の胴体の模様の簡化であり、この縦画を省略するのは比較的晩期の写法である。甲骨文のf:id:nkay:20181224035833p:plainf:id:nkay:20181224035835p:plainは金文の「虫」に変化し、f:id:nkay:20181224035826p:plainf:id:nkay:20181224035830p:plainは金文の「它」に変化し、系統ははっきりしている。羅(振玉)氏が「它と虫はおそらく一字であり、後人が誤って二字に分けた」と言うのは信用できない。*1

しかるのちにさらに雲夢睡虎地秦簡等の資料を根拠として、「⿱𫝀虫」と「舝」の字形発展変遷関係を合理的に説明した。

また例えば、裘先生が甲骨文の「𠚯」字を釈した時にはこう指摘した。

甲骨文中にf:id:nkay:20181224035839p:plainf:id:nkay:20181224035841p:plainf:id:nkay:20181224035843p:plainf:id:nkay:20181224035846p:plain等の形に作る字があり、以前は「陵」と誤釈されていた。実際はこの字が従うf:id:nkay:20181224035848p:plain或いはf:id:nkay:20181224035852p:plainはいずれもf:id:nkay:20181224035855p:plain(阜)の簡体ではなく、のこぎりを簡単に象った形である。*2

このステップと「釈字」は直接一つにつながるということもできる。字形分析の結果は、往々にしてある形をある字と釈すことの肯定ないし否定を含んでいる。

 

2.辞例と結合せよ、但し絶対視できないことに要注意

《遠邇》文の「袁」字に対する研究で、以前「袁」字の異体「𮕧」と一つに混同されていた、「卒」字と釈しなおすべきf:id:nkay:20181224044904p:plain字の簡体f:id:nkay:20181224044906p:plainf:id:nkay:20181224044909p:plain等の形をよりわけたのは、字形と辞例を結合して異体関係を判断した例である。二者は字形が異なるだけでなく、用法も異なっている。似たような例として、裘先生がf:id:nkay:20181224044911p:plainf:id:nkay:20181224044913p:plain等の形を「宓」と釈した際には、「また甲骨文中にはf:id:nkay:20181224044916p:plainf:id:nkay:20181224045357p:plain等の形に作る字があり、見たところ「宓」字のようである。しかしこれらは実際にはf:id:nkay:20181224045400p:plainの簡体であり、「宓」字と一つに混同して語ることはできない。」と指摘した*3。これもまた二者の字形がよく似ているが、辞例を根拠に分けることができる。

しかし、字形間の関係は常にとても複雑で、字形が異なり用例もまた異なる字が必ずしも一字異体ではない、或いは文字学上関係がないとは限らない。たとえば《遠邇》文の最後ではこう述べている。

もし「⿳⿴𦥑木土犬」が「𤞷」字という説が確かなら、当時の人は意識的に「𤞷」字の繁体と簡体――「⿳⿴𦥑木土犬」と「⿰⿱个土犬」「⿰⿱⿰丨又土犬」――とを使い分けており、それによって異なる意味を表していたのかもしれない。

言い換えれば、用法が異なる形が必ずしも一字異体でないとは限らないということである。

甲骨文中には上で述べたようないわゆる「分用異体」現象が多く見られ、裘先生はその他の文字を考釈した時にも多く論述している。私が甲骨文の「f:id:nkay:20181224084040p:plain」を「f:id:nkay:20181224084043p:plain(由)」字に釈した際には、裘先生が述べた諸例をまとめて取り挙げて根拠としたが、今これを要約して次に引用する。*4

f:id:nkay:20181224084043p:plain」と「f:id:nkay:20181224084040p:plain」はおそらく用法の上で重なる例が見られない」ために、大多数の研究者は二者を一字としなかった。裘先生は族名金文合文「f:id:nkay:20181224084045p:plain」中の下側の一字(下の引用文中では△)を「亡」と釈し、「鋒芒の「芒」の原始表意字」と解釈して、曰く、

商代の人は△字を仮借して常用詞である「有亡」の「亡」を表す時は、これをf:id:nkay:20181224084049p:plainと簡化した。このことは彼らが「鼎」字を仮借して「貞卜」の「貞」を表す時に、これをf:id:nkay:20181224084052p:plainと簡化したのと、同じ現象である。商代の人は「發」の初文を仮借して否定詞を表す時、これをf:id:nkay:20181224084054p:plainと簡化したが、一方で甲骨卜辞において人名に用いられる「發」字の初文は一般に簡化しなかった(原注:參看拙文《釋“勿”“發”》,《中國語文研究》2期39-41頁)。このことと△と「亡」との状況は特によく似ている。*5

上で引かれている《釋“勿”“發”》文中では、裘先生はこう指摘した。卜辞中の発射の「發」の表意初文「⿹弓冫」は、その簡体はf:id:nkay:20181224084056p:plainに作り、主に否定詞に用いられる。「⿹弓冫」がその他の意味に用いられる時は、通常f:id:nkay:20181224084059p:plainf:id:nkay:20181224084103p:plainf:id:nkay:20181224084106p:plain等の形に作る「正体」またすなわち更に原始的な形体が依然として使用され、《合集》19752・7239・20238・4733・4734等等に見られる。そのうちの《合集》19752の辞「貞:f:id:nkay:20181224084108p:plain乎(呼)f:id:nkay:20181224084059p:plain出□。」について裘先生は、

第1条卜辞(按即《合集》19752)には2つの「⿹弓冫」字がある。2つ目は人名で、正体が用いられている。1つ目は否定詞で、簡体が用いられている。一つの卜辞中において、同じ字が二種類の用法によって二種類の形式で書かれる現象は、確実に存在している。以下に挙げる「鼎」字が二つ見られる卜辞がそのよい例である。

と述べ、続けて彼は《合集》15267・《合集》171・《合集》11499の「f:id:nkay:20181224090704p:plain(貞)」と副詞に用いられる「鼎」が一辞にともに見られ、かつ後者がf:id:nkay:20181224090708p:plainf:id:nkay:20181224090711p:plainf:id:nkay:20181224090715p:plain等の形に作る例を引いて、こう述べた。

「鼎」「貞」の古音は近い。「貞」字の本字は「鼑」に作り、「卜」に従い「鼎」の声である。「鼑」字はのちに出来たもので、殷人は「鼎」を借りて「貞」に用いた。卜辞中の借りて「貞」に用いられる「鼎」字は通常f:id:nkay:20181224090704p:plainと書かれるが、これはf:id:nkay:20181224165459p:plainに作る「鼎」字を全体的に簡化しでできたものである。上で引いた卜辞中では、「貞」に借りられる「鼎」字の簡体が、一般的な「鼎」字と同時に現れている。この例と「⿹弓冫」字の正簡二体が一辞にともに見られる例とは十分類似している。*6

最終的に私は以上を根拠に、「したがって、たとえば上で引いた《合集》5488のような「「由(f:id:nkay:20181224171914p:plain)」と「f:id:nkay:20181224171916p:plain」とがともに一条の卜辞に見られる」状況について、これをもとにして「「f:id:nkay:20181224171916p:plain」は「f:id:nkay:20181224171914p:plain」字ではない」という結論だけに至る必然性はない」と結論づけた。*7

このほか、殷墟甲骨文中では表意字がさらに細かく分かれているという特殊な問題がある。裘先生はこう指摘した。

商代の人が用いる表意字は、しばしば後世に比べて細かく分かれている。後世では一つの表意字で表す意味を、彼らはしばしばいくつかの表意字を使い分けて表している。例えば商代では、大牢・小牢の違いに応じて、牢字もまた牛に従うものと羊に従うものの二体があったが(あるいは𫳅に作る)、周代になって牛に従う牢字のみが用いられるようになった。刈草・刈禾には甲骨文ではそれぞれ専字があったのに、後世には艾の一字だけが残ったのも、このためである。*8

裘先生は卜辞の「焚」字について「「⿱黄火」字は「尪」が「火」の上にいる形で、「焚巫尪」専用の「焚」の異体とすべきであり、「⿱鬯𠬞」が「⿱豆𠬞(登)鬯」専用の「⿱豆𠬞」字の異体であることや、「𫳅」が「小牢」専用の「牢」字の異体であることと同様である。」と述べたが*9、「⿱黄火」と焚焼田猟に用いられる「焚」、「⿱林𠬢」とは、その用法も基本的に重なってはいない。したがって、以上のような状況が存在するため、写法が異なり用法もまた異なる字形であっても、直ちに異なる字とみなせるわけではない。これらの文字学における関係はおそらくかなり複雑であり、我々にはさらに具体的な分析を通すことが求められる。

 

3.殷墟甲骨文の特殊な例:卜辞の時代と類組の角度からみた問題を重視せよ

殷墟甲骨文について言えば、字形を分析して異体分合・帰併等の問題を考察する際、特に注意が必要なのは関連字形が属する卜辞の時代と類組の問題である。卜辞は時代・類組が異なれば字形・用字の環境も異なり、これは殷墟甲骨文において際立って特別な現象である。このような現象について、裘先生は何度も言及している。例えば曰く、

不同時期あるいは同時期だが不同類の卜辞は、その言葉・文字はしばしばそれぞれの特徴を備えている。文字について言えば、同じ字が不同時期あるいは同時期だが不同類の卜辞においては違うふうに書かれたり(たとえば「以」字はf:id:nkay:20181228050352p:plainに作ったり、或いはf:id:nkay:20181228050354p:plainと簡化したりする。後者は《説文》の「㠯」字である)、同じ言葉に対して不同時期あるいは同時期だが不同類の卜辞では異なる字が用いられたりする(例えば有無の「有」を「㞢」で表したり、「又」で表したりする)。したがって甲骨文字を考釈する際は、関連字の属する異なる時期・類組に注意して、同じないし近い文例の卜辞を相互に比較しなければならない。*10

裘先生の一連の甲骨文字考釈論文には、分期分類を通して関連字形と用法を考察することによって、解決の助けになっただけでなく問題解決の決定的な働きを果たした文字考釈の成功例を、多く見ることができる。この問題に対しては、私と王子楊先生がともに総括的に論述しているので、参照されたい*11。分期分類によって関連字形と用法を考察することは、この数年からすでに研究者達に普遍的に重視されており、甲骨文字考釈の常套手段となっているため、ここでは重ねて述べない。

 

殷墟甲骨文について言えば、多くの字形の異体分合・帰併問題は、例えば《殷墟卜辞綜類》・《殷墟甲骨刻辭類纂》・《新甲骨文編》・《甲骨文字編》等の各種工具書において既に大量に研究されている。我々が収集する字形と辞例の資料は、一方では普段の読書の積み重ねによっており、また一方ではこれらの索引・字編などの工具書の助けを必要としている。しかし注意しなくてはならないのは、いかなる工具書であっても、すべて多少の問題が存することは免れないということである。我々が扱う時は注意してそれを見分けなければならず、誤ってはならない。

ついでにここで述べておくが、甲骨文字考釈に対して言うと、甲骨綴合というある特殊な問題もまたとても重要である。可能な限り完璧な関連甲骨の綴合をもとにして立論することで、研究問題の関連資料の完全性と全面性を保証することができ、場合によっては重要・決定的な資料を提示することができる。裘先生自身もこれをとても重視しており、いくつかの考釈論文中に既に示されている自身の綴合資料以外にも、その論文が各種文集に収録される際に加えられる「編按」等の中に、関連する綴合情報を補足することを怠っていない。

 

三、(三)へつづく 

 


 

*1:《釋“⿱𫝀虫”》,《文集・甲骨文卷》,207頁。

*2:《甲骨文中所見的商代五刑——並釋“𠚯”“剢”二字》,《文集・甲骨文卷》,1頁。

*3:《釋“柲”》,《文集・甲骨文卷》,54頁。関連字形は以下を参照、《甲骨文字編》766-768頁2551号「寇」字(第一類字形)、768頁2552号「宓」字。

*4:王子楊先生もこれに対して比較的詳細に総括的な分析をしているので、参照されたい。王子楊《甲骨文字形類組差異現象研究》,第三章第1節「甲骨卜辭的“異體分工”現象」,中西書局,2013年,149-170頁。

*5:《釋“無終”》,《文集・金文及其他古文字卷》,62-63頁。

*6:《釋“勿”“發”》,《文集・甲骨文卷》,146-147頁。

*7:陳劍《釋“f:id:nkay:20181224084040p:plain”》,劉釗主編《出土文献與古文字研究》第三輯,復旦大學出版社,2010年,77-81頁。

*8:《甲骨文字考釋(八篇)》の「一、釋“⿱屮屮𬔖”“𬓨”」,《文集・甲骨文卷》,73頁。

*9:《説卜辭的焚巫尪與作土龍》,《文集・甲骨文卷》,198頁。

*10:《七十年代以來殷墟甲骨文研究的進展》,《文集・甲骨文卷》,465頁。

*11:陳劍《殷墟卜辭的分期分類對甲骨文字考釋的重要性》,収入同作者《甲骨金文考釋論集》,綫裝書局,2007年,317-457頁。王子楊《甲骨文字形類組差異現象研究》。

《〈釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字〉導讀》日本語訳(三、(一))

三、《遠邇》文の関連字形に対する研究

かつて、裘先生は自分について「古文字の考釈においては、朱德熙先生の影響を最も深く受けた」と述べている*1。また朱德熙先生の古文字考釈を評価して「先生の古文字字形に対する分析は、非常に緻密である。ある時、とある字のある字形が訛変や簡化によって解読できないでいた。一般人は決してその字形がとある字の異体とは思い至らなかったが、先生はその字の字形変化の複雑な過程を正確に明らかにすることを通して、その字形が確実にその字の異体であることを人々にはっきりわからせた。」とも述べた*2。裘先生の古文字考釈文章を読んだ読者はみな同意するところだが、裘先生の古文字字形に対する研究も往々にして同様の特徴がある。

 

(一)「認清字形」

古文字考釈において最初に出くわすのは、認清字形【明瞭で正確な字形をとらえる】という問題である。唐蘭先生は古文字研究に対して「認清字形に学者は最も注意しなければならず、もし形体筆画がきれいなものを扱わなければ、あらゆる研究はたちまち使い物にならなくなるだろう」と述べた。しかし古文字材料はそれ自体がしばしば多種多様な問題を抱え、私達が明瞭な字形を識別するのを困難にしている。例えば唐蘭先生は以下のように指摘した。「古文字形体の識別の難しさには、幾種もの原因がある」「契刻・鋳型が不正確で、しばしば文字の筆画が誤っていたり、抜け落ちたり乱雑だったりする」「古器物が永い時を経て、摩滅を免れず、破損したり、或いは土片やサビがついて字画が不明瞭ないし不完全になったりする」「古器物が出土後に、俗人に傷つけられる」「特によくあることだが、拓本が不鮮明だったり、印刷の質が悪かったりして、筆画を識別することができない」「模本や臨本の誤り」等等*3。この二、三十年の間に研究のホットスポットとなった戦国竹簡に関して言えば、字形がぼやけて不鮮明だったり筆画が汚物に覆われていたりといった問題が往々にして存在する。

甲骨文字考釈について言うと、「認清字形」で特に注意が必要なのは、拓本上の泐痕【損傷の痕】或いは甲羅の継ぎ目の線を排除することや、拓に筆画が完全に写しきれていないこと等による障害である。《遠邇》文では、例えば脚注①で後下42.8つまり《合》30273の「⿰彳⿱衣又」について「《甲骨文編》をはじめ多くが「⿰彳⿱衣又」字を「⿰彳衣」に誤って模写している」と指摘する。《合》30273の拓本を見てみると以下のようである。

《合》30273「⿰彳⿱衣又」

この中の「又」旁はまだなお一部が判別できるが、その位置は右下隅に小さく書かれているだけであり、また完全に拓に現れておらずそれほど鮮明でないため、きわめて見過ごしてしまいやすい。最近出た《甲骨文字編》732頁2429号「遠」字の最後の欄に収められている《合》30273の形は《甲骨文字編》732頁2429号《合》30273「⿰彳⿱衣又」で、やはり右下の「又」旁を模写しておらず、かつその一部筆画を誤って「衣」旁とつなげて、「衣」形の末筆としてしまっている。また例えば、《甲骨文字編》726頁2413号「卒」字の項には《合》05884反《甲骨文字編》726頁2413号《合》05884反「卒」が収められているが、この字は実際は《遠邇》文で引用された第(20)辞《乙》7200「袁入五十」の「袁」字である。「袁入」の二字の形は拓本ではこうなっている。

《乙》7200「袁入」

《甲骨文字編》は誤って「又」旁を泐痕と考えたために、漏画・誤釈してしまったのかもしれない。

このような誤摸・誤釈といったことは古い甲骨文研究論著や関連工具書においては非常によく見られ、裘先生は《類纂》の書評の中で比較的集中的に証拠を挙げて論述している*4ので、参照されたい。裘先生のそのほかの古文字考釈文章中でも、常々いくつかの工具書の模写字形の誤りの訂正を含んでいるが、これらもみな「認清字形」の第一歩に属するということができる。

裘先生の論文中で言及されているものには、先に挙げた唐蘭先生のいう「鋳型が不正確」によって字形を誤認することの例も存在する。例えば彼は西周早期の小臣𬋵鼎(《殷周金文集成》――以下《集成》――2556【《銘圖》02102】)「召公△匽(燕)」の「△」字を「建」と釈したが、その形は下のようである。

小臣𬋵鼎「建」 / 小臣𬋵鼎「建」(模本)

裘先生は殷墟甲骨文の下の形を引用して、

《合》36908「建」《合》36908

鼎銘の字は「まさに(甲骨文の)この字の繁体であり、その左側の縦画と下部の横画が「𠃊」形につながっていないのは、鋳型が不出来だったからかもしれない」と指摘する*5。思うに、「𠃊」に従う字は限られ、小篆と古文字中の既に知られた「建」字はみな「𠃊」に従う形に作っている。つまり、先人が正確に「△」字と「建」を結びつけていくことができなかったのは、「鋳型が不出来だった」ことによって字中の「𠃊」形の左下隅が断裂し、正確に認識できなかったことが、明らかに一つの重大原因である。

いわゆる「認清字形」の一歩は、もともと厳格な用語ではないため、その意味は広くも狭くもとれる。広い意味の方で言えば、後述する「字形の異同の判別には、微細な違いに注意せよ」というのも、「認清字形」の一つということができる。

 

(三、(二))へつづく

kirara0048.hatenablog.com


*1:《著名中年語言學家自選集・裘錫圭自選集》末所附“作者簡介”,河南教育出版社,1994年,236-237頁。

*2:《朱德熙先生在古文字學方面的貢獻》,《文集・雜著卷》,183-184頁。

*3:以上皆見《古文字學導論》(增訂本),156-161頁。

*4:《評〈殷墟甲骨刻字類纂〉》,《文集・雜著卷》,64-81頁。

*5:《釋“建”》,《文集・金文及其他古文字卷》,40頁。

《〈釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字〉導讀》日本語訳(二)

二、古文字の「考釈」とその根拠――字形と辞例(文字の用法)

文字考釈は古文字研究の基本作業であり、古文字研究の各分野が得た進歩は、いずれも文字考釈の成果と切り離すことはできない*1。さらに林澐は「古文字学の研究対象は待識先秦文字で、その仕事は未知或いは誤認されている先秦文字を読み取ることである」、古文字資料のうち「公認された既知の文字」の部分が「一般的な文字学の対象」となる、と述べる*2。これらは古文字研究における「考釈」作業の重要性を物語っている。

古文字の「考釈」ということに対して、多くの人は一般に、認識されていない「字形」「が後代のなんという字か」さらに広く言えば「後代のどの字に相当するか」を解明することだと考えている。これはもちろん間違いではなく、古文字考釈において最もよく見られる作業であるし、その中心的存在でもある。しかし、細かく見ていくと、問題はそう簡単ではない。一つに、字形の考釈により得られる結果には複雑な状況があり、対応する後代の字形が必ず見つかるとも限らないということがある。本文の要旨と外れるため、このことについては今は多く述べない。また一つに、裘錫圭が甲骨文字の考釈について述べたときに言ったように、「すでに知られている文字であっても、同音仮借現象などがあるため、卜辞中の用法については、考釈を通してはじめて理解できるようになるというようなこともしばしばある*3ということがある。これは甲骨文字以外の古文字でも当然同じことがいえる。かつて林澐は

古文字学が生まれた理由は、小篆と異なる先秦文字を読む必要があるためである。或いは《説文》所収の小篆及びその他の字体(既知部分)の字を起点として、現在まだわかっていない先秦文字を読むためともいえる。こういった釈読研究の直接の目的は、第一に現在まだわかっていない先秦文字が後代のなんという字かを解明すること、第二に識字を基礎として文章の表している意味を理解し、字が実際に使用されている時の特定の意味を確定させることである。この二つを一つにして、一般に「考釈」と呼ぶ。*4

と述べた。つまり、簡単に言えば、「文字を認識し、その意味を理解する」ということである。

最も理想的な古文字考釈、つまり「完全な考釈」とは、字形の起源・文字結構及びその造字本義・そしてその用例の意味を明確にすることである。この三項が全てわかるということはそうそうないが、古文字資料の解読について言えば、その読音が確定できそして表す詞語がわかれば、その意味を明らかにすることができ、それで最も重要な目的は達成できたと言える。一部の字形「が後代のなんという字か」を解明するということ以外に、字形を用い字形を通して、言語におけるそれが表わしている詞語、つまりその他の「字」を探し出すことが更に重要である[後述の「四、(三)」部分を参照]。

古文字考釈の方法は、漢代にはじまり、宋人による青銅器銘文の考釈がそれに続くが、これらについては詳述しない。一般に、近代の科学的な古文字学研究は唐蘭《古文字學導論》にはじまるとされる。それより前に、まず羅振玉が《殷虚書契考釋》において「許書(許慎の《説文解字》)に基いて金文に遡り、金文に基いて甲骨文を考察する」という考釈方法を挙げ、唐蘭が《古文字學導論》において、「一、対照表或比較法」「二、推勘法」「三、偏旁分析法」「四、歴史考証法」の四種の考釈方法を提唱し、特に偏旁分析法と歷史考証法の重要性を強調した*5。その後今に至るまで、古文字学者は実際に考釈を行う中で蓄積された更に多くの有効な方法や原則を利用している。このことに対しても研究者は多くの総括的論述を行っている。于省吾はかつてこう述べた。

古文字は客観的な存在で、見ることができる形があり、読むことができる音があり、探すことができる義がある。その形・音・義は相互に関連している。そしてかつ、いかなる古文字も独立した存在ではない。古文字研究の際には、各字の形・音・義の相互関係に注意することはもちろん、各字と同時代の他の字との横の関係、および字の異なる時代の発生・発展・変化の縦の関係にも注意しなければならない。これらの関係を具体的かつ全面的に詳細に分析することで、客観的認識に符合する結果を得ることができる。*6

この他、林澐は《古文字學簡論》第二章「考釋古文字的途徑」において「一、古文字考釈の出発点――字形」「二、字形の研究法の基本――歴史比較法」「三、歴史比較法の根幹――偏旁分析」を提唱し、黄德寬は古文字考釈方法を「一、字形比較法」「二、偏旁分析法」「三、辞例帰納法」「四、綜合論証法」の四つにまとめた*7

古文字研究者がまとめた各種考釈方法は、《遠邇》文中においてさまざまな角度から体現・運用されている。

 

裘錫圭はかつて「古文字考釈の根拠は主に字形と文例にある」とはっきり指摘した*8。いわゆる「文例」という言葉は、古文字学者が用いる時はある特別な意味を有し、関連する文字が現れる具体的な言語状況を指す。研究者はこれを「辞例」とも呼ぶが、以下本文でもこれに従う。《遠邇》文の冒頭部分では、関連諸字の字形と辞例についての軽い説明と分析の後に,

「⿰彳⿱衣又」「⿰⿱个土犬」の二字の字形をもとに、上述した卜辞の文意を加味して考慮すると、「⿰彳⿱衣又」は後代の「遠」字、「⿰⿱个土犬」は西周金文で「邇」として用いられる「𤞷」字であると断定することができる。

と指摘している。《遠邇》文の「⿱⿴𠬞木土」字の字形分析の後には、「「⿱⿴𠬞木土」字の卜辞における用例からみて、この字は「埶」と釈すのが合理的である」とあり、これも二者の「結合」を体現している。裘錫圭のその他の古文字考釈文章中でも、よく「字形と辞義をつなぎあわせると」「字形と文義の両方面からみると」「この字の形体と用法を結合して考えると」「卜辞の文意から得られるこの手がかりと字の結構を結合して考えてみると」等等と述べ、その後に更に一歩進んだ判断を下している。このような例は枚挙にいとまがない。

字形と辞例の両方面の研究は、それぞれ古文字研究者のいう「字形の考釈」と「字義の確定」の両方面の作業*9におおよそ対応するが、これらは常に結合して行い、全面的に繰り返し考慮しなくてはならない。「字形の考釈」と「字義の確定」というのは、説明のために二つの段階に分けているだけである。以下、本《導讀》は大きく分けて「《遠邇》文の関連字形に対する研究」「《遠邇》文の関連文字用法に対する研究」の二つの部分があり、それぞれを分けて論述するが、これも説明のために便宜を図ったにすぎない。実際の研究では、この両方面は往々にして密接に関連していて分けることは難しく、常々互いに絡み合っており、またどちらが先でどちらが後かということもない。字形の考釈は、常々文字を認識した後にさらに進んで字義を確定させることが求められる。字形に対する認識は、また常々字義に対する推測をもとにして成り立っており、両者はお互いを証明し合う作用を果たしている。字形の考釈において複数の可能性や方向が考えられるとき、しばしば何という字に「読む」かという問題を同時に考える必要がある[後述の「四、(三)」部分を参照]――もし結局どうやっても、適切な単語を見つけて原文を解釈できないのであれば、字形の考釈にも疑問が生じる。逆に、原文の示す単語がとてもはっきりしていれば、それに基づいてある字と解釈することにも比較的根拠があり、すなわち、字形方面の論証に多少の欠点があっても、受け入れられるものになる。

また、まずここで言っておかなければならないが、《遠邇》文の関連する字形と文字用法の分析論証は非常に厳密で、余すところなく述べられているため、実際のところ私が言うべきことはもうほとんど残っていない。したがって、以下の本《導讀》では、裘錫圭の他の古文字考釈、特に甲骨文字考釈中の類似例をできるだけ多く挙げて、《遠邇》文の関連部分と合わせて述べることにしたい。

 

(三、(一))へつづく

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*1:裘錫圭《古文字研究五十年》,《裘錫圭學術文集・金文及其他古文字卷》,復旦大學出版社,2012年,506頁。本文で引用する裘錫圭の文章はすべて《裘錫圭學術文集》から引くが、以下《文集》と呼ぶ。

*2:林澐《古文字學簡論》,中華書局,2012年,8-9頁。

*3:《殷墟甲骨文研究概况》,《文集・甲骨文卷》,22頁。

*4:林澐《古文字學簡論》,5頁。

*5:唐蘭《古文字學導論》(增訂本),齊魯書社,1981年,163-259頁。この本は1935年に書かれ、1935年北京大學講義石印本が存在する。

*6:于省吾《甲骨文字釋林・序》,中華書局,1979年,3頁。

*7:黄德寬《古文字考釋方法綜論》,《漢字理論叢稿》,商務印書館,2006年,249-273頁。また《開啓中華文明的管鑰――漢字的釋讀與探索》,北京師範大學出版社,2011年,129-146頁。

*8:《以郭店〈老子〉簡爲例談談古文字的考釋》,《文集・簡牘帛書卷》,275頁。

*9:例えば朱德熙と裘錫圭の共編《七十年代出土的秦漢簡册和帛書》では、竹簡整理作業に関していくつかの方向から述べられているが、前三方向が「拼接」「繫連」「分篇分書」で、第四・第五の方向が「考釋文字」と「確定字義」である。朱德熙著,裘錫圭、李家浩整理《朱德熙古文字論集》,中華書局,1995年,142-143頁。

《〈釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字〉導讀》日本語訳(一)

一、《釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字》の主な内容

《釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字》(以下「《遠邇》文」と呼ぶ)は、裘錫圭の甲骨文字考釈論文の中でも比較的早くに書かれたもの(文末の附記によれば、初稿は1967年で、1982年に《屯南》等の新出資料により書き改めたという)だが、現在でも甲骨文字考釈ないし古文字考釈全般の手本となるような著作であるといえる。

《遠邇》文で述べられている「遠」に関連する一連の字形は下のように分類できる*1

(図表略)

《遠邇》文は以下のようにいう。「⿳止衣又」「⿱衣又」はともに「袁」字の前身で、「⿳止衣又」形は「⿳又衣又」形が変化してできたものである。最も完全かつ原初の形である「⿳又衣又」形或いは「⿳爪衣又」形は、「両手で衣服を持って体に通す」形の図形式表意字で、すなわち「擐」字の表意初文である。「⿱衣又」はその略体である。「⿳又衣又」形の上部の「又」旁(「止」に変形している)は残しつつ下部の「又」旁が省略され、声符「〇(「圓」字の表意初文)」が加わって、「袁」字に変化した。「⿰彳⿱衣又」等の「彳」に従い「袁」のもろもろの異形を声符とする字は、「遠」字の異体字である。殷墟甲骨文中では、「袁」字は多く人名に用いられており、「遠」字はその本義、つまり遠近の「遠」に用いられている。

《遠邇》文で述べられている「邇」に関連する一連の字形には以下の数種がある。

(図表略)

《遠邇》文は以下のようにいう。「⿰⿱木土又」「⿱⿴𦥑木土」「⿱⿴𠬞木土」はみな「埶」字の変体で、樹蓺の「蓺」の表意初文である。「⿰⿱个土犬」「⿰⿱止土犬」と「⿳⿴𦥑木土犬」はみな「𤞷」字の異体である。「⿳⿴𦥑木土犬」形は卜辞では多く田猟地名に用いられており、それ以外の諸字は卜辞では、樹蓺の「蓺」、或いは遠邇の「邇」(しばしば「遠」と対になっている)、或いは設立の「設」に用いられている。

 

(二)へつづく

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*1:以下、処理された関連字形は、ほとんど以下から取り挙げた。《新甲骨文編》(劉釗、洪颺、張新俊編纂,福建人民出版社,2009年),97-98頁(「遠」字)、156頁(「埶」字)、556頁(「⿱⿱𦥑木⿱土犬」字、「⿰⿱止土犬」字)。《甲骨文字編》(李宗焜編著,中華書局,2012年),中册731-732頁(2427号「袁」字、2429号「遠」字)、中册501、502頁(1705号「埶」字、1706号「「埶𥄲」の「埶」の専字」)、中册557-558頁(1869号「邇」字)。

楚簡の文字認識

CNNの勉強(?)。

とりあえず画像を読み込んで分類する的なことをしてもらおうとした。

 

なにか手持ちのデータで良いデータがないかと思ったがなかった。

MNISTを見て、楚簡の字なら読めるんじゃないかと思った。

 

f:id:nkay:20181104012514j:plainf:id:nkay:20181104012734j:plainf:id:nkay:20181104012520j:plain

《楚簡帛字典》より、清華簡(貳~柒)の「一」「二」「三」字を抜き出し、「一」が35字、「二」102字、「三」が86字からなるデータセットを作成。少ない気がするけど簡単そうだし多分大丈夫でしょ。

 

それぞれを「./inputfolder/1」「./inputfolder/2」「./inputfolder/3」的なフォルダに入れて読み込んだ。楚簡の図版は古いのや簡報のものは白黒写真も多いので、そいつらにも対応してくれるように白黒にした。

from keras.preprocessing.image import load_img, img_to_array
from keras.utils import np_utils

for i, folder in enumerate(inputfolder.glob("*/")):
    for file in folder.glob("*.gif"):
        img = load_img(file, grayscale=True, target_size=(64, 64))
        imgarray = img_to_array(img)
        xarray.append(imgarray)
        yarray.append([i])

yarray = np_utils.to_categorical(yarray, i+1)

このあとデータセットのうちランダムに9割を学習、1割をテスト用に分割した。

 

ネットワーク(コピペ)。

from keras.models import Sequential
from keras.layers import Dense, Dropout, Flatten, Conv2D, MaxPooling2D

model = Sequential()
model.add(Conv2D(32, (3, 3), activation="relu",
                padding="same", input_shape=img_shape))
model.add(Conv2D(32, (3, 3), activation="relu"))
model.add(MaxPooling2D(pool_size=(2, 2)))
model.add(Dropout(0.25))

model.add(Conv2D(64, (3, 3), activation="relu", padding="same"))
model.add(Conv2D(64, (3, 3), activation="relu"))
model.add(MaxPooling2D(pool_size=(2, 2)))
model.add(Dropout(0.25))

model.add(Flatten())
model.add(Dense(512, activation="relu"))
model.add(Dense(256, activation="relu"))
model.add(Dense(i, activation="softmax"))

model.compile(loss="categorical_crossentropy",
              optimizer="SGD",
              metrics=["accuracy"])

400回くらいまわしてみる。

history = model.fit(X_train, y_train,
                    batch_size=64, epochs=400,
                    verbose=1,
                    validation_data=(X_test, y_test))

まわった。

Epoch 1/400
198/198 [==============================] - 5s 25ms/step - loss: 1.1098 - acc: 0.1616 - val_loss: 1.0876 - val_acc: 0.4400
Epoch 100/400
198/198 [==============================] - 0s 752us/step - loss: 0.6844 - acc: 0.7273 - val_loss: 0.4319 - val_acc: 0.8000
Epoch 200/400
198/198 [==============================] - 0s 746us/step - loss: 0.3169 - acc: 0.8889 - val_loss: 0.6147 - val_acc: 0.8400
Epoch 300/400
198/198 [==============================] - 0s 764us/step - loss: 0.0851 - acc: 0.9747 - val_loss: 0.5639 - val_acc: 0.8800
Epoch 400/400
198/198 [==============================] - 0s 754us/step - loss: 0.0119 - acc: 1.0000 - val_loss: 0.9266 - val_acc: 0.8800

まわった。

 

上博簡から「一」「二」「三」字を適当に拾ってモデルに放り込んでみた。

f:id:nkay:20181104020847j:plainf:id:nkay:20181104020852j:plainf:id:nkay:20181104020851j:plainf:id:nkay:20181104021348j:plainf:id:nkay:20181104021504j:plainf:id:nkay:20181104021350j:plainf:id:nkay:20181104021936j:plain

model.predict_classes(np.array(inputarray).astype(np.float32)/255)
# 0=「一」,1=「二」,2=「三」

結果。

array([0, 1, 2, 1, 0, 1, 2])

四枚目は右上がりがきついがどうみても「三」なのに「二」と予測した。無能だな。

 

とりあえずちゃんと回るコードが書けたということがわかった。