《〈釋殷墟甲骨文裏的“遠”“𤞷”(邇)及有關諸字〉導讀》日本語訳(二)

二、古文字の「考釈」とその根拠――字形と辞例(文字の用法)

文字考釈は古文字研究の基本作業であり、古文字研究の各分野が得た進歩は、いずれも文字考釈の成果と切り離すことはできない*1。さらに林澐は「古文字学の研究対象は待識先秦文字で、その仕事は未知或いは誤認されている先秦文字を読み取ることである」、古文字資料のうち「公認された既知の文字」の部分が「一般的な文字学の対象」となる、と述べる*2。これらは古文字研究における「考釈」作業の重要性を物語っている。

古文字の「考釈」ということに対して、多くの人は一般に、認識されていない「字形」「が後代のなんという字か」さらに広く言えば「後代のどの字に相当するか」を解明することだと考えている。これはもちろん間違いではなく、古文字考釈において最もよく見られる作業であるし、その中心的存在でもある。しかし、細かく見ていくと、問題はそう簡単ではない。一つに、字形の考釈により得られる結果には複雑な状況があり、対応する後代の字形が必ず見つかるとも限らないということがある。本文の要旨と外れるため、このことについては今は多く述べない。また一つに、裘錫圭が甲骨文字の考釈について述べたときに言ったように、「すでに知られている文字であっても、同音仮借現象などがあるため、卜辞中の用法については、考釈を通してはじめて理解できるようになるというようなこともしばしばある*3ということがある。これは甲骨文字以外の古文字でも当然同じことがいえる。かつて林澐は

古文字学が生まれた理由は、小篆と異なる先秦文字を読む必要があるためである。或いは《説文》所収の小篆及びその他の字体(既知部分)の字を起点として、現在まだわかっていない先秦文字を読むためともいえる。こういった釈読研究の直接の目的は、第一に現在まだわかっていない先秦文字が後代のなんという字かを解明すること、第二に識字を基礎として文章の表している意味を理解し、字が実際に使用されている時の特定の意味を確定させることである。この二つを一つにして、一般に「考釈」と呼ぶ。*4

と述べた。つまり、簡単に言えば、「文字を認識し、その意味を理解する」ということである。

最も理想的な古文字考釈、つまり「完全な考釈」とは、字形の起源・文字結構及びその造字本義・そしてその用例の意味を明確にすることである。この三項が全てわかるということはそうそうないが、古文字資料の解読について言えば、その読音が確定できそして表す詞語がわかれば、その意味を明らかにすることができ、それで最も重要な目的は達成できたと言える。一部の字形「が後代のなんという字か」を解明するということ以外に、字形を用い字形を通して、言語におけるそれが表わしている詞語、つまりその他の「字」を探し出すことが更に重要である[後述の「四、(三)」部分を参照]。

古文字考釈の方法は、漢代にはじまり、宋人による青銅器銘文の考釈がそれに続くが、これらについては詳述しない。一般に、近代の科学的な古文字学研究は唐蘭《古文字學導論》にはじまるとされる。それより前に、まず羅振玉が《殷虚書契考釋》において「許書(許慎の《説文解字》)に基いて金文に遡り、金文に基いて甲骨文を考察する」という考釈方法を挙げ、唐蘭が《古文字學導論》において、「一、対照表或比較法」「二、推勘法」「三、偏旁分析法」「四、歴史考証法」の四種の考釈方法を提唱し、特に偏旁分析法と歷史考証法の重要性を強調した*5。その後今に至るまで、古文字学者は実際に考釈を行う中で蓄積された更に多くの有効な方法や原則を利用している。このことに対しても研究者は多くの総括的論述を行っている。于省吾はかつてこう述べた。

古文字は客観的な存在で、見ることができる形があり、読むことができる音があり、探すことができる義がある。その形・音・義は相互に関連している。そしてかつ、いかなる古文字も独立した存在ではない。古文字研究の際には、各字の形・音・義の相互関係に注意することはもちろん、各字と同時代の他の字との横の関係、および字の異なる時代の発生・発展・変化の縦の関係にも注意しなければならない。これらの関係を具体的かつ全面的に詳細に分析することで、客観的認識に符合する結果を得ることができる。*6

この他、林澐は《古文字學簡論》第二章「考釋古文字的途徑」において「一、古文字考釈の出発点――字形」「二、字形の研究法の基本――歴史比較法」「三、歴史比較法の根幹――偏旁分析」を提唱し、黄德寬は古文字考釈方法を「一、字形比較法」「二、偏旁分析法」「三、辞例帰納法」「四、綜合論証法」の四つにまとめた*7

古文字研究者がまとめた各種考釈方法は、《遠邇》文中においてさまざまな角度から体現・運用されている。

 

裘錫圭はかつて「古文字考釈の根拠は主に字形と文例にある」とはっきり指摘した*8。いわゆる「文例」という言葉は、古文字学者が用いる時はある特別な意味を有し、関連する文字が現れる具体的な言語状況を指す。研究者はこれを「辞例」とも呼ぶが、以下本文でもこれに従う。《遠邇》文の冒頭部分では、関連諸字の字形と辞例についての軽い説明と分析の後に,

「⿰彳⿱衣又」「⿰⿱个土犬」の二字の字形をもとに、上述した卜辞の文意を加味して考慮すると、「⿰彳⿱衣又」は後代の「遠」字、「⿰⿱个土犬」は西周金文で「邇」として用いられる「𤞷」字であると断定することができる。

と指摘している。《遠邇》文の「⿱⿴𠬞木土」字の字形分析の後には、「「⿱⿴𠬞木土」字の卜辞における用例からみて、この字は「埶」と釈すのが合理的である」とあり、これも二者の「結合」を体現している。裘錫圭のその他の古文字考釈文章中でも、よく「字形と辞義をつなぎあわせると」「字形と文義の両方面からみると」「この字の形体と用法を結合して考えると」「卜辞の文意から得られるこの手がかりと字の結構を結合して考えてみると」等等と述べ、その後に更に一歩進んだ判断を下している。このような例は枚挙にいとまがない。

字形と辞例の両方面の研究は、それぞれ古文字研究者のいう「字形の考釈」と「字義の確定」の両方面の作業*9におおよそ対応するが、これらは常に結合して行い、全面的に繰り返し考慮しなくてはならない。「字形の考釈」と「字義の確定」というのは、説明のために二つの段階に分けているだけである。以下、本《導讀》は大きく分けて「《遠邇》文の関連字形に対する研究」「《遠邇》文の関連文字用法に対する研究」の二つの部分があり、それぞれを分けて論述するが、これも説明のために便宜を図ったにすぎない。実際の研究では、この両方面は往々にして密接に関連していて分けることは難しく、常々互いに絡み合っており、またどちらが先でどちらが後かということもない。字形の考釈は、常々文字を認識した後にさらに進んで字義を確定させることが求められる。字形に対する認識は、また常々字義に対する推測をもとにして成り立っており、両者はお互いを証明し合う作用を果たしている。字形の考釈において複数の可能性や方向が考えられるとき、しばしば何という字に「読む」かという問題を同時に考える必要がある[後述の「四、(三)」部分を参照]――もし結局どうやっても、適切な単語を見つけて原文を解釈できないのであれば、字形の考釈にも疑問が生じる。逆に、原文の示す単語がとてもはっきりしていれば、それに基づいてある字と解釈することにも比較的根拠があり、すなわち、字形方面の論証に多少の欠点があっても、受け入れられるものになる。

また、まずここで言っておかなければならないが、《遠邇》文の関連する字形と文字用法の分析論証は非常に厳密で、余すところなく述べられているため、実際のところ私が言うべきことはもうほとんど残っていない。したがって、以下の本《導讀》では、裘錫圭の他の古文字考釈、特に甲骨文字考釈中の類似例をできるだけ多く挙げて、《遠邇》文の関連部分と合わせて述べることにしたい。

 

(三、(一))へつづく

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*1:裘錫圭《古文字研究五十年》,《裘錫圭學術文集・金文及其他古文字卷》,復旦大學出版社,2012年,506頁。本文で引用する裘錫圭の文章はすべて《裘錫圭學術文集》から引くが、以下《文集》と呼ぶ。

*2:林澐《古文字學簡論》,中華書局,2012年,8-9頁。

*3:《殷墟甲骨文研究概况》,《文集・甲骨文卷》,22頁。

*4:林澐《古文字學簡論》,5頁。

*5:唐蘭《古文字學導論》(增訂本),齊魯書社,1981年,163-259頁。この本は1935年に書かれ、1935年北京大學講義石印本が存在する。

*6:于省吾《甲骨文字釋林・序》,中華書局,1979年,3頁。

*7:黄德寬《古文字考釋方法綜論》,《漢字理論叢稿》,商務印書館,2006年,249-273頁。また《開啓中華文明的管鑰――漢字的釋讀與探索》,北京師範大學出版社,2011年,129-146頁。

*8:《以郭店〈老子〉簡爲例談談古文字的考釋》,《文集・簡牘帛書卷》,275頁。

*9:例えば朱德熙と裘錫圭の共編《七十年代出土的秦漢簡册和帛書》では、竹簡整理作業に関していくつかの方向から述べられているが、前三方向が「拼接」「繫連」「分篇分書」で、第四・第五の方向が「考釋文字」と「確定字義」である。朱德熙著,裘錫圭、李家浩整理《朱德熙古文字論集》,中華書局,1995年,142-143頁。